本来の意味の最近のブログ記事

  

Wikipediaさんからの引用です。

内容が少々複雑になってまいりました。

 

Wikipedia:日本語の誤用より、混用しやすい言葉

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混用しやすい言葉


「嬉しい」か「喜ばしい」か
「嬉しい」は、望んでいた事態が実現して、心がうきうき、晴れ晴れとして楽しいことであり、「喜ばしい」とは愉快であること、満足すべきであること、喜ぶべきであることの意である。どちらも意味としては同じであるが、客観的または全体的な喜びである場合は両者とも用いられるものの、その逆、すなわち個人的または主観的な喜びを示す場合は「喜ばしい」とは言わない。
「おざなり」か「なおざり」か
「御座なり」とは芸者がお座敷毎の格に合わせることであり、「等閑」とは心を込めず、雑にすること、手付かずのまま放ったらかすことである。どちらも「いい加減な、ぞんざいな」という意味では奇しくも似ているので誤解しやすい。その場凌ぎな対応であれば「おざなりな対応」、中途半端な対応ならば「なおざりな対応」とするべきである。
二者の意味の類似から「おざなり」と「なおざり」の混交した「おなざり」という新語を作ってしまい、使用している人もいる。

「信用」か「信頼」か
「信用」は、人の言動や物事を間違いないとして受け入れることであり、「信頼」は、信じて頼ることである。いずれも書いて字の如く、信じることが大前提としてあるわけだが、前者がある程度の疑いを伴うのに対して、後者は揺るぎない、絶対に間違いないとして受け入れることである。従って、信頼の代わりに使うのは、多少俗な表現といえる。

連濁に関するもの
ここでは、間違えやすい清音・濁音・半濁音などの表現(連濁)について挙げる。

おんぼろ車 - ○おんぼろぐるま ×くるま
漫画本 - ○まんがぼん ×ほん
舌鼓 - ○したつづみ ×したづつみ
狸のはらづつみなどと言ってしまう。いずれも鼓(つづみ)の意味であるから誤用
 濁音が前のほうが言い易いため普及?したと考えられる。  あらたしい(新しい)があたらしいと変化したように、いずれ「したづつみ」が普通  になるかもしれない。  こづつみ⇒小包 こつづみ(小鼓)

このほか、「・・・ぐらい」と「・・・くらい」などの混用が目立つ。


同音異義語
「同音異義語」とは、発音が同じで意味が違う言葉のこと。誤用されやすい言葉の代表格といえよう。和語で言えば、たとえば農家で出荷した作物が買われて儲けが出る意の「売れる」のか、作物が熟す意の「熟れる」のか混同する場合もあり、ペットショップでペットをお金を出して「買う」のか、家族の一員として「飼う」のか、間違えることが稀にあるようで、注意が必要であろう。

「特長」か「特徴」か
「特長」とは、特に秀でている点、すなわち長所の意であり、「特徴」とは良きにつけ悪しきにつけ、そのものが持つ特有の性質、すなわち特色の意である。したがってよいところを指すのであれば前者を用いるのが望ましいが、一般的には「特徴」を使うことが多い。
 


接頭辞・接頭語

否定を表す語
漢字語で否定を形成する場合、

不(・・・セズ/・・・しない、動詞)
非(・・・ニアラズ/・・・ではない、名詞)
無(・・・ナシ/・・・が無い、抽象名詞)
未(イマダ・・・セズ/まだ・・・していない、動詞) いずれは行なわれる可能性を含む場合に使われる。
(漢文訓読/意味、主に続く品詞)
がそれぞれ適切に使われてきた。

古くから慣用化されている語ではそのまま使い分けられているものが多いが、最近ではこれらが混同されてしまい、とりわけ何でも「非」または「未」を付けてしまう場合が多い。また、確かに間違いではないが状況に合わせた使い分けがなされないことも多々ある。

  この記事は、中立的な観点に基づく疑問が提出されています。

超の濫用
「超」は「超過」「超越」の熟語が示す通り定義範囲(上限)からの逸脱を示す字であり、「・・・すぎて最早・・・とはいえない」の意で、特性の突出とカテゴライズの否定を同時に表す。したがって超えるべき上下限がそもそも想定できない多くの形容について、この字は本来添えることが出来ず、名詞に付加することで、(元来)存在しない上位カテゴリを指し示すのが正しい使い方である。すなわち「超人」は「もはや人とはいえない存在」で「人」ではなく、「超特急」は「特急を超える速度の列車」であって「特急」ではない。またここで「特急」は「特別に急ぐ」という形容ではなく、「特別急行列車」というカテゴリをあらわしていることを理解するのが肝要である。同様に「超ヘビー級」「超高層ビル」「超豪華客船」「超合金Z(架空の合金)」などの語の成り立ちは「超・ヘビー級」「超・高層ビル」「超・豪華客船」「超・合金Z」である。これを「超ヘビー・級」「超高層・ビル」「超豪華・客船」「超合金・Z」と誤解した者等が、誤って形容の強調と認識した部分を独立で使用することにより、「超」の誤用例が広まった。
この誤用はNHK教育の番組「ことばおじさんのナットク日本語塾」での調査によれば、1970年代に静岡県で使われ始めたとされている。
ただし、何らかの概念を超えているという意味の他にも、「非常に・・・である、抜きん出て」という意味も辞書によっては載せられている。したがって「超大型」とは「大きすぎて最早大きいとはいえない」ではなく「抜きん出て大きい」の意と解釈したほうがよく、時代に即して新しい意味がもたらされたといえよう。
ちなみに「超新星」は、恒星が一生を終えるときに大爆発を起こすことである。「超」を取った「新星」は天文学的には「新しい星」を指すわけではない。「新星」を「新しい人気俳優」の意味で使うのは正しい用法だが、さらに「超」をつけて意味を強調し、「×期待の超新星」と誤用してしまう例がある。戦隊シリーズの『超新星フラッシュマン』が放映されたことなどの影響とも考えられる。[要出典]
  この記事は、中立的な観点に基づく疑問が提出されています。
一方で、若者言葉「超ウケる」は、上記「超大型」での用法であれば腹の皮がよじれるほどおかしい、すなわち馬鹿受けであるはずだが、実際には馬鹿笑いしているわけではなく、むしろ嘲笑に近い。とすれば、「滑稽すぎて笑う気にもならない」と解釈すべきであろう。しかしこれが原点回帰と考えるには底が浅すぎると言える。

接尾辞・接尾語

物事をはっきりと言い切らず、曖昧にしてしまう「ぼかし表現」の代表的な例で、「わたし的には…」「気持ち的には…」のような濫用が目立つ。
昭和15年の例がある。[1]。対して2000年代の例は2000年の新語・流行語大賞トップテンに「私的には…」(飯島愛)が選ばれているように、「私としては」の意味合いで使われているようである。

「感」は「違和感」「透明感」など、「・・・のような感じ」を表わす接尾辞である。本来は漢語の後に付くのが基本であり、和語などにつけるのは相応しくない。
なお、「×価値感」というのは「価値観」としたいところを誤記したものと考えられるが、「価値の度合い」と勘違いされて出来てしまったものとも捉えられよう。

助数詞の誤用
助数詞とは、事物の数量を表す時に用いる語。古来不変のものではなく、現在使われている助数詞の多くは中国語から採り入れられたものである。音読みの語は漢字伝来前には存在し得ないので、頭・匹・人(にん)・杯・膳など音読みの助数詞は日本古来のものではない。

動物(ペット、家畜、野獣)の数え方で、どこまでが「1匹」でどこからが「1頭」なのかがあやふやなままで覚えている人が多い。大きい動物を頭で数えるのは英語で ten head of cattle (牛十頭)などとすることの影響であり、明治以前には大きな動物も匹で数えていた。「一匹狼」のような慣用表現は匹で数えていた名残であるが、現在では大きい動物は頭で小さい動物は匹で数えるという使い分けがあるので、「×子犬が1頭」という使い方はしない。ウサギは哺乳類であるものの「1羽」という数え方である(鵜+鷺にちなむとされる)が、しばしば「1匹」と誤って数えられる。魚は「1尾」という数え方が正しく、「1匹」とするのは俗な数え方である。イカ(烏賊)は、生き物としての場合は「1匹」であるが、料理の場合は「1杯」と数える。もっとも、これらの助数詞の故郷である中国ではまた違う使い分けが「正しい」とされている。
数え年より学年(早生まれか遅生まれか)を重視して「彼は僕より1個下なんだよ」とする「個」の誤用例がとりわけ若者に多い。また、袋入りやパック入り、箱入りの商品、もしくは豆腐(正しい数え方は「1丁」)など数え方が決まっているものに対して、「1個」と数えるのは、いずれも一考の余地がある。※ちなみに、年齢を含めて日本古来の数え方である「・・・つ」ならば問題はないが、1から9までしかない。10は「とお」で、それ以降は「じゅういち、じゅうに」と数える。0というのはかつて日本の数学上存在しなかったようである。
多くの人が誤る例として、箪笥を「1セット」(正しくは「1棹」)と数えることなどがある。また、箸の数え方が「1膳」であることは若い人に限らず忘れられつつある。

 

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Wikipediaさんからの引用です。

内容が少々複雑になってまいりました。

 

Wikipedia:日本語の誤用より、不適切な敬語表現

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不適切な敬語表現

ここで扱う「あげる(上げる)」は、
神仏や敬うべき人などにある行為がなされる。
「与える」「やる」を、その相手を敬っていう語。
動詞の後に付いて(「・て-」の形で)主体が動詞の表わす行為を他者に対し恩恵として行なう意を示す言い方を作る。「てやる」の丁寧な言い方。
である。したがって、(3)によれば、目下・目上に関わらず他者に対して恩恵として行なう意で使う用法があるのは辞書の認めるところである。しかし、人間以外の生き物や物質(有機物・無機物)に対して用いるのは相応しくない。

一方では、「八百万の神」に表されるように、森羅万象あらゆるものに神性を見いだし敬い尊ぶという日本人の心性からすれば、動植物や無機物に対して「あげる」という表現は許容されるとの意見もある。

桃太郎の唱歌に「やりませう、やりませう」とあるのはは猿や犬に対するものなので、前者に照らせば全く正当なのだが、幼稚園などではかなり以前から「あげましょう、あげましょう」とわざわざ「誤った」表現に改変して教えている。しかし、後者の意見を採れば幼児期の情操教育という面からはふさわしい改変であるとも言える。

動植物を対象とした誤用
△犬(猫)に餌をあげる→○やる
△花に水をあげる→○やる


動物や植物であっても命あるものは尊ぶべきであるという考えに基づけば、あながち間違いとはいえない。
物を対象とした誤用
×大根は細く切ってあげましょう。→○切っておきましょう(切りましょう)。
×ここに線を引いてあげる→○ここに線を引く
×お肌に塗ってあげる→○肌に塗る

 

誤った敬語表現
×おめでとうございました。→おめでとうございます。

祝福すべき現状がそこに起きているのだから、過去に遡ってのことであっても過去形にするのは不適切である。
×お母さんからこれを預かってきました。→改まった場では「母」とすべき
×お宅の長男はもう高校に進学するんですか。→(一番)上の息子さん、名前が分かっているのなら「○○君」とすべき 「御長男」とも

上は対外的に家族または親族を指す場合。基本的に敬称は要らない。親しい仲間内でならまだ許容できるものの、フォーマルな場面では不適切である。「お兄ちゃん・お姉ちゃん」「兄貴・姉貴」「親父」「おふくろ」なども同様に不適切。下は正誤以前の問題で、本人のいないところで話題として取り上げる場合であっても、「弟・妹」に関しても呼び捨ては拙いだろう。他人の両親に対して「×あなたの父(母)はお元気ですか」というのも問題外で「(お)父(母)上は―」が正しく、文語表現を使う人になると「ご母堂」「ご尊父」も。
×課長、ご苦労様です(お疲れ様です)。→ありがとうございます。

「ご苦労様」とは、本来は目上の者が自分と同等か目下の者に対して労う時に用いるべきであるが、勘違い(混同)して目上の者に対して使ってしまうのが表記の事例である。したがってこの際は「お疲れ様です」これも目下にまたは同位のものに向かっての言葉なので、正式には「ありがとうございます」が正しいだろう。文化庁の調査によると、これ以外に単に「どうも」とだけ言う場合も稀にあるようで、これは目上に対してでも、同等か目下の者に対してであろうと相応しくないといえる。
△愚母がお世話になります。→「母」が望ましい

謙譲語では、話中に登場する第三者が家族である場合「愚」を付けることがある。これを謙称という。最近は話し手のきょうだいや配偶者、子供に絞られている。したがって、例に挙げた以外にも「愚父」や「愚祖父(母)」などは控えた方がいい。もっとも、身内を貶めてまで相手を立てても先方は感心しないと捉え、殆ど聞かれなくなった表現であることも事実である。
×社長さんはいらっしゃいますか。→単に「社長」でよい

これは敬称の重複。「社長」「部長」「専務」等の肩書きはそれ自体が敬称であり、「さん」を付けるのはむしろ軽蔑に当たる。
同様の理由から、逆に自社の社長を「社長」「○○社長」と呼ぶのは取引先や顧客に対しては失礼に当たる。「○○」「社長の○○」とするのが正しい。
△確認していただけないでしょうか。→確認して下さい(確認をお願いします、ご確認下さい)。

「?してください」という表現を使うことで相手に「君はわたしに指図するつもりか」と思われたくないので、深慮遠謀で左記の方が無難と感じることはあろう。だが、もし相手が嫌だと断わったら取り下げるわけにいかない事情があり、なおかつより丁寧に頼む場合は()内を使うべきだろう。
×とんでもございません(とんでもありません)。→とんでもない(とんでものうございます・とんでもないことでございます)。

「とんでもない」は、「とんでも」+「ない」の2文節ではなく、「危ない」「拙い」等と同様「とんでもない」で一つの形容詞とされるのが普通である。したがって、「ない」の部分のみを取り出して「ありません」や「ございません」に置き換えるのは、文法的に誤りであるとされる。山本富士子がこの言い回しを初めて使い、広まったという説が有力。
ただし、語源に遡れば「とんでもない」はもともと「途でも」+「なし」の2文節である。そのことから、「とんでもありません」も「途でも」+「ありません」と解することができ、必ずしも誤りであるとはいえないとする意見もある。
×封筒の宛名書きにおける先生様表記。→職名をつけて「先生」または「様」のいずれか

士業の人物・医師・代議士宛の手紙に見られるが、二重敬語。

 

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今回もWikipediaさんからの引用です。

「大手ゼネコン」にはやられました・・・


Wikipedia:日本語の誤用より、語源の誤解

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語源の誤解

書き入れ時
  • もと商人言葉。帳簿に儲けを「書き入れる」ことの意から、もっとも繁盛する時期。→×利益を「掻き入れる」と勘違いされた結果、当用漢字にない「掻」が仮名書きになってしまった。
皮切り
  • 最初に据えるお灸の意から、物事の手始め。→×妊婦が最初の赤ん坊を生むとき、腹の皮が切れるような痛さで苦しむことと誤解してしまっている。
大手ゼネコン
  • ゼネコンとはgeneral constructorの略で総合建設業者の事。それだけで大手の建設会社を指す言葉。したがって、大手と付ける必要性はない。

 

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今回もWikipediaさんからの引用です。

実は、この中であやふやなものが結構ありました。。。

正しく認識できたのでOKということで。

 

Wikipedia:日本語の誤用より、勘違い

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偽善者ぶる
  • 偽善者のふりをする、偽善者の真似事をする。→偽善者がその通りの偽善行動をとる。「ぶる」は先述のように「ふりをする、真似をする」という意味であり、偽善者本人に対し用いるのは誤り。あえて正しい表現をとるとすれば「善人ぶる」であろう。
馬の骨
  • 「馬の骨」とは、現代では素性の知れない者、いわゆる「ぽっと出」を侮蔑する言葉であるが、本来の意味は血統、出処、転じて家系の意。意味の誤用が定着した言葉で、成句「どこの馬の骨とも知れない」から「馬の骨」の意味を類推したものか。
奇特
  • 大いに感心すべきである。殊勝なことである。→(1)変わっている。変人のようである。(2)物好き。好事家であるさま。皮肉として使われていたようだが、誤用が定着して本来の意味を失ってしまった言葉の代名詞といえよう。集英社の雑誌投稿欄『ジャンプ放送局』にあった「奇特人間大賞」が誤用が広まった原因であるとする説もある。  
気前がいい
  • 金や物を出し惜しみしない。けちけちしない。→金銭的・物的な余裕は無いだろうにやたら奮発するものだと勘繰り、揶揄する言葉になった。したがってそうした意図がないのであれば、素直にありがとうございますと感謝の意を表わすべきである。
頭が切れる(キレる)
  • 頭脳明晰であること。“快刀乱麻を断つ”と同義。→衝動的な行動に走ること。または、カッとなること。「堪忍袋の緒が切れる」からか。
逆鱗に触れる
  • (竜の顎の下にある、一枚だけ逆さに生えた鱗に触ると、必ず人を殺してしまう意から)(普段は温厚を以って知られる)目上の者を激怒させる・相手の癪に障る行為をする。→目上の者の勘気を被ること。竜は架空の生物であるため、性質を知れというほうが筋違いかもしれないが、竜というのは本来、温厚な性質とされ、背中に乗ることもできるのである。したがって、ちょっとしたことでは滅多に怒ることは無いのである。いわゆるイージーミスで他人を怒らせてしまうことに使うのは誤用である。
けじめ
  • 物と物の間の境の意から、道徳や規範によって行動・態度に示す区別、節度ある態度を言い、「けじめを食う」というのは他のものと比べて冷遇される意。→あらゆる場面で、面目を汚したり、裏切ったり、不祥事を起こしたりした者に対して懲罰または制裁を与えること。なぜか暴走族や暴力団、右翼・極左団体などの反社会分子の中で隠語的に用いられることが多い。
姑息
  • 一時凌ぎをすること。また、その様。(用例: 姑息的治療)→×卑怯・卑劣なこと
こだわる
  • ちょっとしたこと、些細なことを必要以上に気にする。拘泥する。→妥協しないでとことん追求する。
賛否両論
  • 賛成と否定に意見が分かれること。→「非難囂々」と混同して使われる。
しつけ(躾・仕付け)
  • (身なりをきちんと整える意から)礼儀作法を教える。→最近ではしばしば虐待・体罰の口実に使われてしまう。
せっかん(折檻)
  • 上記「しつけ」と同じ誤用がなされている。もともとは引き離されてようとしても必死に抵抗し、つかんでいた檻(手すり)が折れるほどの強い決意を持って戒めることをいった。
その日暮らし
  • 収入の少なさゆえに、余裕の無い生活。また、悠々自適な生活。→フリーターや被生活保護者に対する差別と捉えられてしまう。
毒婦
  • 悪い女性。→毒殺する女性。元は単に「悪女」の意味だったが、和歌山毒物カレー事件の加害者の女性に対する表現として用いられたことから、誤用が定着してしまった。
鳥肌(が立つ)
  • 寒さや不快感のために鳥類の肌のように毛穴が縮まること。→震え上がるほど感動すること。しかし「実際に感動したとき鳥肌が立った」という意見も少なくない。
なし崩し
  • 借金を少しずつ返すこと。→曖昧なうちになかったことにすること。または、善からぬことが漸増すること。後者は「雪だるま式」との混同か。
耳障り
  • うるさいこと。聞いたときの感じ。聞き心地。「手触り」「肌触り」と同様に「耳触り」として用いられてしまっている。
むかつく(ムカつく)
  • 胃に違和感・不快感を覚える。また、吐き気がする。→腹が立つ。癪に障る。「イラつく」と同義語。「ムカッとくる」というのが独り歩きしてしまい、本来の意味で使うのはフォーマルな場では気が引けるという弊害が生じてしまった。
妄想
  • 考えたことを事実だと信じ込むこと。→頭の中で色々と想像すること(空想、夢想)。

 

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今回もWikipediaさんからの引用です。

間違いの見本のようなものですが、再確認しておきましょう。

 

Wikipedia:日本語の誤用より、違う言葉同士の混交

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違う言葉同士の混交

  • 生き様 - 生き方+死にの誤解の転倒について
    • 「死に様」からの連想でできた語で、生きてきた過程を示す言葉としては相応しくないとされる。ここでの様は"「様を見ろ」→「ざまぁみろ」と同じニュアンスであるからだ。"との説明が作家等からも良くなされるが、本来「死に様」の「様」は単なる「様子」を示す「様」でありネガティブな意味合いは持たない(新明解国語辞典より概要のみ)。むしろ、「死に様」と言う言葉をネガティブに捉えること自体が「様を見ろ」の「ザマ」と言う音で類推さる語感からの勘違いである(よって、言葉としては、例えば「麗しい死に様」と言う文言も実際はありうる。文法的には動詞連用形に付く「様」であり、連濁となる。)。つまり、この意味で言うならば、複合語としての「生き様」も誤用とは言えない。ただし、「生き様」という言葉自体は、あらたまった場でそれほど使われるものでないことは確かである。
  • ×汚名挽回 - 汚名返上+名誉挽回
    • 右の、正しい用語のような意味合いを意図しているのに、二つの四字熟語を混交させてしまった結果、逆の意味になってしまっている。
    • アニメ『機動戦士Ζガンダム』で、主人公のライバルジェリド・メサが言ったことが、アニメファンの間では有名。脚本家の間違いによるもの。ちなみにその後ジェリドが主人公への雪辱に挑んではことごとく返り討ちにあったことから『恥の上塗り』的意味合いで使うファンもいるが、この意味でも「挽回」は適当ではないとされる。


    ただし、明鏡国語辞典の編纂にも関わった前筑波大学長、北原保雄は著書『問題な日本語』(大修館書店)

    において、「挽回」には「(今の悪い状態から)巻き返しを図る」と言う意味もある、とし、間違いとはしていない。

  • ×喧喧諤諤 - 喧喧囂囂(けんけんごうごう)+侃侃諤諤(かんかんがくがく)  
    • 喧々囂々とは口々にしゃべってやかましいことであり、侃々諤々とは何の遠慮もせず盛んに議論を交わすことである。
  • ×食指を伸ばす - 食指を動かす+触手が伸びる
    • 「食指を動かす」は、関心を持つ、興味を抱くの意。「触手を伸ばす」は、自分のものにしようとして近づくの意で、もともとの意味が異なる言葉の混交によって出来た言葉と思われる。
  • ×的を得る - 的を射る+当を得る
    • 弓道から起こった言葉なので「射る」が正しいとされるが、「射る」は矢を放つ行為・「得る」は命中した結果を示しているとして「的を得る」を誤用としない説もある。しかしこれについては、通常使用する場合は「的を射た」と過去形になるため「的に命中させた」という意味を持つ、という反論もある。
  • ×離発着 - 離着陸+発着
    • 航空機の離陸および着陸と、乗り物の出発および到着とを混交した表現。「りちゃくりく」では発音しづらく、「はっちゃく」では印象が弱く聞き取りづらいため、混ぜて使われるようになったと推測される。

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